2021.03.08 /
第68回:数寄屋造りと新しい日本人の家
デザインというと「意匠」の意味に理解されることが多いと思いますが、本来的には、ある問題を解決するために思考・概念の組み立てを行い、それを様々な媒体に応じて表現することといわれています。
例えば、権威を象徴させる為の建物のデザインは、お城や社殿のように装飾的なデザインになると思います。
室町時代に武士勢力が勢いを増すにつれ、建築では書院造が台頭してきました。書院造は、自らの権威を示したい武士達が競うように贅を凝らし、誰もが分かるような格式を表す様式を取り入れたことで、儀式の場へと変わっていきます。
主人の座る上段の間の隣に、2部屋も3部屋もつなげて造ることで、主人の権威を誇示しながら儀式も執り行なう様式へと変化していきました。
身分格差を表すために、上段の間と下段の間に段差を付け、框で仕切られるのが特徴です。
その段差は、格下の段に行くにしたがい、1段ずつ下がっていきます。
主人は、奥の床の間を背にして座り、また主人よりも格上の来客であれば、そこに来客が座ったとのことです。
天井もまた、垂れ壁や欄間で一線を画し、格差を表す様式が取り入れられていました。
武家社会の身分を厳格に区別する為のデザインが書院造であり、習俗として現代の和風建築に引き継がれてきたと思います。
渡邊工務店HP施工実績より
室町時代から織田信長や豊臣秀吉が活躍していた安土桃山時代になると、数寄屋造りの建物が生まれてきました。
商業の発展とともに商人たちも力を持つようになってきました。
そんな時代の流れの中で自由な発想を持ち、書院造のような格式や華美な装飾を嫌った数寄者といわれる自由人や茶人が生まれてきました。
現代ならユーチューブのインフルエンサーのような人達で、千利休はその代表になると思います。
当時の書院造のような格式のある技術様式にこだわらず、敢えて粗末な材料や素朴な丸太を好んで使い、軽妙でお洒落な茶室をはじめとした建物が数寄屋と称されたようです。
但しその後の技術や茶室の文化の深堀は目覚ましく、現代に至って本格数寄屋造りの建物は特別に高価で高度な技術の集積された高級建築となってしまいました。
そういえば本格的な茶室は、シンプルモダンの代表的デザインだと思います。
渡邊工務店HPより日本芸術院賞受賞 白鳥庭園、清羽亭の建築施工
現在の暮らし方の主流となってきた、シンプルモダンなライフスタイルも、他人の目を意識する権威や格式の時代から自分たちの暮らし方や生活のスタイルを大切にしたいというライフデザインの変化によって生まれてきたと思います。
そこは数寄屋造りの原点の数寄屋の心と相通じるところがあると思います。
書院造のアンチテーゼとして生まれた数寄屋ですが、数寄屋造りの原点回帰として、現在のシンプルモダンなライフデザインと、本来の数寄屋の心が結び付いたシンプル和モダンな住宅が、新しい日本人の家として受け入れられていけばと思います。
不易流行を大切にする渡邊工務店は、数寄屋の心を持ったシンプル和モダンの住宅を、若い世代からアクティブシニアのお客様まで喜んでいただけるようお届けしていく所存です。